小さな気功観察記録 1周期目🃏基礎段階から欠伸ばかり出している話

下記幸福享受実験の補助役として自己にとり好都合なエネルギーを循環させる為の気功の取り組み。その経過や結果。それによって現象や五感、インスピレーションへの影響はどうなるのか。これをもういいかなと安心と自信を感じるまで続けた場合
👉🏻気功観察記録
👉🏻日常記録
2026年1月1日-1月26日
前記:
厳密に記せば2025年の12月上旬辺りに思い立ったことだけども
身体を使った不都合なエネルギーの吐き出し、又自分に最適なエネルギーの取り入れの一環として内功に取り組むことに前向きになってきていた
これまで中の人にとり身体を使ったそのワークと言えば、主に腹と背と脚の筋力トレーニングと概ね全身の骨トレーニングと極偶に声の使用に限定されていた
内功を取り入れてみようと言う思いはもしかすると、ホメオスタシス面の私が思いついたものかも知れないと思っていることは、一応頭の隅に気付いてはいた
だからこそ極める気はなく単純に楽になることへの追求で、もう少し身体を動かすことに楽しさを感じるやり方である方が出て行って欲しいものが出て行き、取り入れたいものが入り込みやすくなるのでは?という思いがあった
そこで年が明けて手に入れた書籍が以下
書籍名に合わせこの先気功(きこう/拼音qìgōng)と統一して言い換えるけれども
元々太極図に惹かれるなども相まり、特にn日坊主となる事もなくこんにちに至るまでほぼ毎日動かす取り組みを続けられている
何であれば今の時点に至るまで基本中の基本の型の項を舐めるように読み毎日実践するくらいには、そして取り組み中に欠伸を出すくらいには気楽に楽しもうとすらしている
又この度参照している気功の本にはしばしば男性はこう、女性はこうとやり方の違いが挙げられている事について
その本の冒頭には一般的に男性は表面が陽で内包は陰、女性はその逆
そして多くの場合男性らしくない男性や女性らしくない女性はこれらに当てはまらず一般とは逆なことがある―と言う
実践中に性差があるのは、取り組みの〆にあたる収功(しゅうこう/拼音shōugōng)と呼ばれる段階において
実際に中の人がまともに収功の動きをする際、自分の身体の性別に即した方向で行なった場合、その後直ちに現実でキャッチしたものに強い違和感を感じた
確かに私は身体の性別に即して内面も[らしさ]があるかを問われると、強いて言えばそうでないに当てはまると自覚をしている
以降身体のジェンダーと逆の取り組みをしておく方が、必ずではないけれども外界との違和感は起こりにくくなった
もしかすると大きな因果関係は無いのかも知れないけれども、刺激に滅法弱い小鳥のような心臓が幾つあっても足りないのでただ安心したくてそうしている
太極図が個人的感性に刺さるということで紋章ぽく筆で描いてみた図

本文中に登場したある欧米出身の量子物理学者が家紋にしたのが太極図だと触れられていることに少々感銘を受け
六芒星そのものやプロビデンスの目in六芒星デザインもそうであり、このモチーフは後者にあたる

プロビデンスの目in六芒星デザインのアクセサリーは首又腕用としてこれだけ所持している
装着年月とその頻度が分かるような、苦楽を共にした期間が感じられるような
上の落書きは無論血の家紋でなく、自分だけの紋章にするのはありかも知れないと大真面目に思ってみたりしているのはまた別のお話
👉🏻関連幸福享受記事 前期 後期
泄法(しゃほう):
現段階で基礎のきとしてまず取り組んでいるのは前準備運動のような、役割である甩手(せいしゅ/拼音shuǎishǒu)なる動きのもの
取り組みの前段階として行う動きだそう
これのかなり早い段階から、指先に労宮のつぼがあるかのような変化を感じられた
このことに味を占めて、最初の何日間は気功と言う意識を持たずともその動作をするようになった
周期の2週目くらいからはその感動はクールダウンされ、通常の気功をすると決めた時の前準備として
又は翌朝になっても世辞でも快適でないと感じる気分を引きずっている自覚がある場合などに実施するようになった
上の幸福享受記事後期版にも近い内容を記載するつもりだけれども、気に入らない現象や観念によって傷つき苦しんだと感じたものを癒したい時は肩の力を柔らかくする役割とされる、手を後ろに振る方を
中の人が傷つき苦しんだ原因と、感じられる気に入らない現象や観念を追い出したい時は邪気払いとリラックスの役割とされる、手を前に振る方をそれぞれ実施した
慣れてくるとそれらはわざわざ意識しなくても勝手にそのようになるようだけれども、まずは慣れてもらいたいので意識しながらの実施としている
周期の2週目の中頃のある日では隙間時間を活用して、座学がてら次章の動功(どうこう/拼音dònggōng)を軽く読んだ
取り敢えずとして章の中の[自然と身体が動くようになる]や[動きは蛇龍のように]や[気の球体と一体になるように]とあることをヒントに、本格実践の前振りとして後述の站桩法の後に思い思いに、それでいて軽く動いてみるようになった
補法(ほほう):
上と同様に現段階で基礎のきとして甩手の次段階として站桩法(たんとうほう/拼音zhànzhuāngfǎ)と呼ばれる型に取り組んだ
甩手の動きにより手全体が電気摩擦のようなものを如実に実感できた後に実施している
最初の4-5日間くらいはだけども、ほんの少しでも脚部が辛くなれば潔く中断した
それでもn日坊主にならずに済んだのは元々週に2-3回スパンの少々の時間でも脚の筋力トレーニングをしていること、上の甩手をほんの少しでもしただけで手全体が電気摩擦のようなものを感じられた感動が相乗効果として大きかったと思う
中の人なりの大した進歩であることが誇らしかった
或る日では入浴中に余裕がある時はその寛ぎの時間などを活用して、手元と下丹田(ちょうど臍の真下とされる)位置のみ一指禅や天地人と呼ばれる型を取ってみたりなどした
水面や空気から水と熱のエネルギーを吸い取り下丹田に集め、無重力の気の球体の中にいるようなイメージ
周期の2週目くらいから、最中は入我我入への意識を持つようになった
宇宙の中に青白い気の球体があり、更にその中に私自身と私が現在存在している空間、それから必ず通行する空間も含めたテリトリーがあり、無重力状態の中で浮遊しているイメージ
そこまでイメージしていくとこの際もっと打算的になろうと思い、自分がもっと幸せになる為に自分自身と上に挙げた空間全体に良いエネルギーが巡り清められているイメージを持つようにした
最初は下丹田位置を主軸に半径0.5mの気の球体をイメージしていた
甩手でもこの型でもそうだけどもかなり軽率なタイミングで欠伸が出るので、それもイメージに利用しようと思い欠伸が出る度に更に0.5m単位で膨張していくイメージを加えた
慣れてきた頃にはこれを半径1m開始で取り組むようになった
膨張の単位は周期の2週目の前半時点では半径1m単位で
その後半くらいからは1m開始は変わらず何処かの節目で半径2m単位で
3週目の途中からは2m👉🏻4m開始として何処かの節目で8m単位で―のように2進法で進めていった
最大半径は最初の頃は10m前後だったところが、周期の3週目には100m前後をイメージするようになった
他:
基本は身体の上で異性側として収功を実施
これは慣れてくると必要なくなるそうだけども、書籍には初歩段階では泄法補法の〆に取り組むことを推奨している
一時は完全に払拭されない現実との違和感に苦痛を感じたあまり、自分なりの念の為のようなもので[身体にとって逆の性👉🏻身体の性👉🏻身体にとって逆の性]の順での収功に締め括った事もあった
それは外出することと他者と接触することがありえる状況に限定して実施した
ところが余計に現実との折り合いに拗れを感じるようになった日が増えたと感じたので、これは早々に辞める事にした
それから2週目の途中くらいから手の組み方を少し間違えていた事にも気付いた
中の人は言葉の行間に気づかないたちなので真実のところは分からないけれども、余程の解釈間違いがない限りは今は正しく実施できていると思う
日常生活への影響:
甩手、站桩法、収功、予習がてらの動功の真似事のどれを取っても必ずどこかのタイミングで欠伸が出る
更に涙も出る
おまけに気候の寒さも相まって鼻水も出る
これらの現象に対し、脳科学的なリラックスや脳内の不要なものが取り除かれていると言う解釈を除き、敢えて他の特別な意味付けはしなかった
ただ日焼け止めの塗り直しをしたくないからを理由に、3周目のある時から両手首に濡れた布巾を巻き付けるようにした
まず甩手については取り組み開始から2-3日足らずにして実施していないタイミングでも、何度か述べた既に手全体が電気摩擦が起こっている又は労宮のつぼになったような感覚
掌を少し開いただけでも感じられるのが、気の球体が手と一体となって吸着しているような弾力
又閉じていても指と指の間や指と掌の間の様々な位置から、小さな気の球体が滑るように流れているような弾力
ひょっとしてあたいか※はめ波や波※拳できるのでは
幾ら目的が幸せになり易くなる為とは言えこれ鍛える才能あるのでは―とほんの少し誇らしくなったりもした
周期の最終日まで続けてきたことによってほんの1分程度実施するだけでも、必ず欠伸が出るようになった
一方站桩法でも取り掛かり開始からかなり軽率なタイミングで欠伸が出る
気がつけばその現象を、当たり前のようにイメージに利用する流れを持つようになっていた
入我我入の意識を持つイメージ上では自分と自分と関わりのある空間を収容している気の球体サイズは、周期の最終日までに至っては半径2mスタートからの最大半径104mにまで膨張するようになった
また収功では補法の気のボールのイメージの為だと思うけれど、基礎のきを継続していく毎に気が収まっていくことを実感するまでに時間をかけるようになった
よく考えてみれば下丹田を中心に、自分の住んでいる建物より大きな球をイメージで創り上げているのだからそのようなものかも知れない―など自己完結に落ち着いた
自分でも驚いたのがこの動きをする際、下丹田に気が集まるイメージをしても中丹田(ちょうど胸の真ん中辺りとされる)に集まっている感覚になる場合があることだった
簡単に調べると精神の安定を象徴する箇所らしいとのこと
ただこれも観念と言われてしまえばそれまでの話ではある
続けていくとそのような場合もあれば、そうならない場合は上丹田(ちょうど額の真ん中辺りとされる)付近に気らしきものの感覚が感じられる時もあった
当初その体験は一度きりだろうと思っていたので、そのような感覚になったことには特別大きな因果関係はないと思うようにしていた
ところが2-3周目のあたりで再びそのような感覚を、ちょうど収功に時間をかけ始めたタイミングで感じやすくなった
取り敢えずはまだ初歩と言うことなので、3周目の半ばくらいまでは気らしきものが下丹田に降りどっしり留まる感覚を感じるまで取り組んだ
それ以降では気の一部は楽にしたい身体の部位の癒しをスムーズにしたかったり、自宅のテリトリーに結界を張るようなイメージで分散して留め、残りは下丹田に収めるイメージをするようにした
これは座学がてらに動功の章を読み直した際に、[気を自在に配置する]旨から着想を得たため
泄法補法に比べればタイミングはなだらかだけれども、やはりここでも少なくとも必ず1回は欠伸が出た
これの意味するところはやはり考えないけれども、取り敢えずはリラックス状態な時間が増えているのは良いことだと気楽に思うことにしている
今を含めた一瞬一瞬もなるべくご機嫌に過ごす
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